NISEKO ANNUPURI 2017年5月7日まで営業

スキーの歴史

四季折々に美しい表情をみせるニセコ町。その象徴、ニセコアンヌプリの歴史をご紹介します。

ニセコ町のスキーの歴史は明治40年頃、千葉清直医師が自作の一本杖スキーを子供たちに履かせ遊ばせたのが始まりと言われています。千葉医師はアメリカに留学しており、その時の経験を生かしてスキーを作ったと考えられています。 その後、レルヒ少佐にスキーの手ほどきを受けた本町の前田初太郎の活動によってスキーが次第に定着。大正初期から昭和初期にかけては、北大や小樽高商(現 小樽商大)のスキー部が合宿練習をし、これが刺激となりニセコにおいてスキーが一般化されたそうです。このニセコのスキー場を一躍全国に広めるきっかけとなったのが、昭和3年春に御来村になった秩父宮殿下。2日間にわたりニセコ登山を実施。チセヌプリの頂上を目指した3月2日は猛烈な吹雪のため帰りの時間が予定より遅れたため、一時遭難したとの噂が全国に伝わるなど大騒ぎとなったエピソードが残されています。こうしたアクシデントも含め殿下のスキー登山の様子が全国に伝えられ、にわかに脚光を浴びることになりました。

「雪は天から送られた手紙」という有名な言葉を残した中谷宇吉郎博士らが第2次世界大戦中の昭和16年、軍用機の墜落事故の原因の一つになっていた機体への着氷を防止するためニセコアンヌプリに着氷観測所を建設し研究。
観測場は8合目と山頂に建設され、特に山頂に設置された観測所は20人が寝泊りでき、秒速60mの風速にも耐えられる本格的な建築物でした。屋外には本物の零式戦闘機も設置され、2シーズン続けて研究が行われたそうです。戦争の終結によって研究は終わり建物も封鎖されましたが、 現在でも山頂には「ニセコ観測所跡」のモニュメントがあります。

スキー底面にシールと呼ばれる滑り止めを貼って斜面を一歩一歩登り、山頂到着後にシールを剥がして山麓まで一挙に滑り降りる山スキーが主流だったニセコのスキーも、昭和32年ごろから導入されたスキーリフトによって楽しみ方が一変しました。スキー場の開発に伴い道路も完備され、多くのスキーヤーがバスや自家用車などで直接現地まで入るようになりました。しかし開発当初の工事現場は急斜面のうえ、背丈を越すクマ笹が密生しており、しかも至るところに大きな溶岩や石が散乱、このため難工事の連続だったそうです。

ニセコエリアでは昭和36年(1961年)に「ニセコ高原比羅夫スキー場」がオープン、ニセコ町のスキー場開発は昭和41年モイワスキー場を皮切りに、昭和47年に北海道中央バス(株)が「ニセコアンヌプリ国際スキー場」を開設、 57年に東山スキー場がオープンし現在のスキー王国を築いています。 現在「ニセコアンヌプリ国際スキー場」にはゴンドラリフト、クワッドリフトを含め6基、13コースが完備されています。
また平成11年にはスキーセンター 「ヌックアンヌプリ」がリニューアルし利用客に喜ばれています。

ニセコの冬は北西季節風を受けるため降雪量が多く、特に中央部の羊蹄山麓一帯は、天塩山脈付近と共に本道一の積雪地帯となっています。積雪量は多い年では町内で2メートル、スキー場では5メートルを超えることもあります。降雪量が多い理由は、シベリア方面から吹く北西の季節風が、日本海を渡るときに大量の湿気を抱え、これが羊蹄山やニセコ連峰にぶつかることにより、大量の雪を降らせるからです。季節風に乗ってやってきたシベリア寒気は非常に冷たく、これが雪の中でも乾いてさらさらした雪、いわゆるニセコエリアの雪の特徴である「パウダースノー」の要因で、人里近くにこれだけのパウダースノーを降らせるエリアは世界でも稀と言われています。
昭和50年前半はスキーブームであり、ニセコのスキー場は「スキーのメッカ」「東洋のサンモリッツ」とうたわれ、憧れのスキー場になりました。道内はもちろん、東京など道外の若い人々でにぎわい、色とりどりのヤッケの花が咲き、ゲレンデはさながらファッションショーのようだったそうです。 当時リフトの輸送力が少ないため、リフトには長い行列ができ2~3時間待ち、待ちきれずにスキーを担ぎゲレンデを登る人たちもいたほどだったそうです。昭和62年、映画「私をスキーに連れてって」が空前のスキーブームを巻き起こしました。当時この映画を見てスキーにハマッた若者達はもう30代後半~40代でしょうね。またこのあたりからリフトの高速化、高輸送能力化になり一気に利便性が上がりました。

平成5年、本道初のリフト共通券自動改札「ニセコフリーパスポートシステム」を導入。このシステムによりニセコアンヌプリ国際、ニセコひらふ(高原・花園)、ニセコ東山の4スキー場がひとつになりました。平成9年にはニセコひらふ(アルペン)が参加、5スキー場となりニセコエリアがさらにビッグスケールに。ニセコ全山共通リフト券で各スキー場のリフト、また山麓では各スキーエリアをつなぐ連絡バスに乗車できるようになりました。

昭和46年6月スキー場開発企画室設置
昭和47年4月調査・測量・コースの設定・ゲレンデ造成・ロッジ、リフト建設
昭和47年12月リフト3基・ロッジ・駐車場が完成、27日オープン
昭和60年2月走コースが国際スキー連盟(FIS)公認コースに認定
昭和60年12月「ホテル日航アンヌプリ」オープン ※平成19年「ニセコノーザンリゾート・アンヌプリ」にホテル名変更 /「6人乗り高速ゴンドラリフト」完成
昭和62年11月SGL(スーパー大回転コース)が全日本スキー連盟(SAJ)に認定
昭和63年8月標高1,000m地点に「1,000m台地展望台」完成
平成4年12月「4人乗り高速クワッドリフト」完成
平成5年11月ニセコアンヌプリ国際ニセコひらふ(高原・花園)・ニセコ東山の4スキー場に
本道初のリフト共通券自動改札システム「ニセコフリーパスポートシステム」 導入
(平成22年現在、ニセコアンヌプリ国際、グラン・ヒラフ、ニセコビレッジ、ニセコHANAZONOの4スキー場)
平成11年11月スキーセンター「Nook Annupuri(ヌック アンヌプリ)」リニューアル
平成18年11月ゴンドラリフトに「制振装置」導入
平成22年12月スノーエスカレータ設置

アクセス

CAR

  • ●札幌からR230(中山峠)経由で約2時間・約110km
  • ●小樽からR5経由で約1時間30分・約60km
  • ●新千歳空港からR276(美笛峠)経由で約2時間・約110km

BUS

  • ●札幌から約3時間40分
  • ●小樽から約2時間
  • ●新千歳空港から約2時間56分
  • ※運行時間が変更になることがあります。詳細は事前にお問い合わせください。

TRAIN ─────

  • JRニセコ駅から路線バスまたはタクシーで約10分

NISEKO ANNUPURI

2017年5月7日まで営業

スキーの歴史

四季折々に美しい表情をみせるニセコ町。その象徴、ニセコアンヌプリの歴史をご紹介します。

ニセコ町のスキーの歴史は明治40年頃、千葉清直医師が自作の一本杖スキーを子供たちに履かせ遊ばせたのが始まりと言われています。千葉医師はアメリカに留学しており、その時の経験を生かしてスキーを作ったと考えられています。 その後、レルヒ少佐にスキーの手ほどきを受けた本町の前田初太郎の活動によってスキーが次第に定着。大正初期から昭和初期にかけては、北大や小樽高商(現 小樽商大)のスキー部が合宿練習をし、これが刺激となりニセコにおいてスキーが一般化されたそうです。このニセコのスキー場を一躍全国に広めるきっかけとなったのが、昭和3年春に御来村になった秩父宮殿下。2日間にわたりニセコ登山を実施。チセヌプリの頂上を目指した3月2日は猛烈な吹雪のため帰りの時間が予定より遅れたため、一時遭難したとの噂が全国に伝わるなど大騒ぎとなったエピソードが残されています。こうしたアクシデントも含め殿下のスキー登山の様子が全国に伝えられ、にわかに脚光を浴びることになりました。

「雪は天から送られた手紙」という有名な言葉を残した中谷宇吉郎博士らが第2次世界大戦中の昭和16年、軍用機の墜落事故の原因の一つになっていた機体への着氷を防止するためニセコアンヌプリに着氷観測所を建設し研究。
観測場は8合目と山頂に建設され、特に山頂に設置された観測所は20人が寝泊りでき、秒速60mの風速にも耐えられる本格的な建築物でした。屋外には本物の零式戦闘機も設置され、2シーズン続けて研究が行われたそうです。戦争の終結によって研究は終わり建物も封鎖されましたが、 現在でも山頂には「ニセコ観測所跡」のモニュメントがあります。

スキー底面にシールと呼ばれる滑り止めを貼って斜面を一歩一歩登り、山頂到着後にシールを剥がして山麓まで一挙に滑り降りる山スキーが主流だったニセコのスキーも、昭和32年ごろから導入されたスキーリフトによって楽しみ方が一変しました。スキー場の開発に伴い道路も完備され、多くのスキーヤーがバスや自家用車などで直接現地まで入るようになりました。しかし開発当初の工事現場は急斜面のうえ、背丈を越すクマ笹が密生しており、しかも至るところに大きな溶岩や石が散乱、このため難工事の連続だったそうです。

ニセコエリアでは昭和36年(1961年)に「ニセコ高原比羅夫スキー場」がオープン、ニセコ町のスキー場開発は昭和41年モイワスキー場を皮切りに、昭和47年に北海道中央バス(株)が「ニセコアンヌプリ国際スキー場」を開設、 57年に東山スキー場がオープンし現在のスキー王国を築いています。 現在「ニセコアンヌプリ国際スキー場」にはゴンドラリフト、クワッドリフトを含め6基、13コースが完備されています。
また平成11年にはスキーセンター 「ヌックアンヌプリ」がリニューアルし利用客に喜ばれています。

ニセコの冬は北西季節風を受けるため降雪量が多く、特に中央部の羊蹄山麓一帯は、天塩山脈付近と共に本道一の積雪地帯となっています。積雪量は多い年では町内で2メートル、スキー場では5メートルを超えることもあります。降雪量が多い理由は、シベリア方面から吹く北西の季節風が、日本海を渡るときに大量の湿気を抱え、これが羊蹄山やニセコ連峰にぶつかることにより、大量の雪を降らせるからです。季節風に乗ってやってきたシベリア寒気は非常に冷たく、これが雪の中でも乾いてさらさらした雪、いわゆるニセコエリアの雪の特徴である「パウダースノー」の要因で、人里近くにこれだけのパウダースノーを降らせるエリアは世界でも稀と言われています。
昭和50年前半はスキーブームであり、ニセコのスキー場は「スキーのメッカ」「東洋のサンモリッツ」とうたわれ、憧れのスキー場になりました。道内はもちろん、東京など道外の若い人々でにぎわい、色とりどりのヤッケの花が咲き、ゲレンデはさながらファッションショーのようだったそうです。 当時リフトの輸送力が少ないため、リフトには長い行列ができ2~3時間待ち、待ちきれずにスキーを担ぎゲレンデを登る人たちもいたほどだったそうです。昭和62年、映画「私をスキーに連れてって」が空前のスキーブームを巻き起こしました。当時この映画を見てスキーにハマッた若者達はもう30代後半~40代でしょうね。またこのあたりからリフトの高速化、高輸送能力化になり一気に利便性が上がりました。

平成5年、本道初のリフト共通券自動改札「ニセコフリーパスポートシステム」を導入。このシステムによりニセコアンヌプリ国際、ニセコひらふ(高原・花園)、ニセコ東山の4スキー場がひとつになりました。平成9年にはニセコひらふ(アルペン)が参加、5スキー場となりニセコエリアがさらにビッグスケールに。ニセコ全山共通リフト券で各スキー場のリフト、また山麓では各スキーエリアをつなぐ連絡バスに乗車できるようになりました。

昭和46年6月スキー場開発企画室設置
昭和47年4月調査・測量・コースの設定・ゲレンデ造成・ロッジ、リフト建設
昭和47年12月リフト3基・ロッジ・駐車場が完成、27日オープン
昭和60年2月走コースが国際スキー連盟(FIS)公認コースに認定
昭和60年12月「ホテル日航アンヌプリ」オープン ※平成19年「ニセコノーザンリゾート・アンヌプリ」にホテル名変更 /「6人乗り高速ゴンドラリフト」完成
昭和62年11月SGL(スーパー大回転コース)が全日本スキー連盟(SAJ)に認定
昭和63年8月標高1,000m地点に「1,000m台地展望台」完成
平成4年12月「4人乗り高速クワッドリフト」完成
平成5年11月ニセコアンヌプリ国際ニセコひらふ(高原・花園)・ニセコ東山の4スキー場に
本道初のリフト共通券自動改札システム「ニセコフリーパスポートシステム」 導入
(平成22年現在、ニセコアンヌプリ国際、グラン・ヒラフ、ニセコビレッジ、ニセコHANAZONOの4スキー場)
平成11年11月スキーセンター「Nook Annupuri(ヌック アンヌプリ)」リニューアル
平成18年11月ゴンドラリフトに「制振装置」導入
平成22年12月スノーエスカレータ設置

アクセス

〒048-1511 北海道虻田郡ニセコ町字ニセコ485

TEL(0136)58-2080